その男はDingoのレプリカユニを着ていた。





２００６年３月１１日、埼玉スタジアム２００２。

『かつての強豪』ジュビロ磐田を迎えたホーム開幕戦。 俺は北側ゴール裏の、中央から少しバックスタンド寄りにいた。 去年の半ばくらいまではクルヴァと呼ばれる最もアツい場所にいたのだが、 ３０の声を聞いて少しばかり体力の衰えを自覚したため、やや温度の低い場所に移動したのだ。

とはいえ、まだ気力が衰えたわけではない。 この日もゲームが始まってから終わるまで、途切れることなく声を出し続け、気が付いたら全身汗だくになっていた。


順当に『かつての強豪』を撃破した選手たちが、ゴール裏に向かって挨拶に来る。





満足して帰ろうとする俺を呼び止める声がした。


「あのすいません、ちょっとお聞きしたいんですが。」


振り返ると、俺の斜め後ろにいた若い男だった。 比較的長い髪は、いまどきの若者にしては珍しく真っ黒だ。 今では懐かしいDingoのレプリカユニフォームを着ていた。


「何か？」


答える俺に向かって次に返ってきたのは実に不思議な言葉だった。


「あの・・・、えー・・・、これはホントに・・・、あの浦和レッズなんでしょうか？」


訝しげにその顔を見返した俺に、少し困ったような顔をして男は続けた。


「あ、ごめんなさい、変なこと聞いて。僕決して怪しい者じゃないんです。 れっきとしたレッズのサポーターです。」


「ああ、わかるよ、それも結構年季の入ったサポーターだろ。 だってそんな懐かしいレプリカ着てるんだもんな。」


勝ち試合の直後で機嫌のいい俺は、客観的に考えると少し怪しいそんな男の言葉にも普通に答えてしまった。


「いや、そんなに古いサポーターではないんです。 シンジが来てからサポになったんで、サポ歴はだいたい２年くらいしかありません。」


俺はその男の言っていることが理解できなくなってきた。シンジは今年帰ってきたんだぞ。 見た目だけではわからなかったが、きっとこの男は頭がおかしいに違いない。関わると面倒だ。

その言葉を無視してその場を去ろうとした俺に向かってその男は言った。


「待ってください。僕にもわけがわからないんです。気が付いたらレッズがこんなに強くなってて。 あの強い磐田に圧勝するなんて、ホントに信じられない・・・。」


俺はあらためてその男の目を見た。そこからは微塵も狂人の気配は感じられなかった。 俺は向き直ってもう一度声をかけた。


「アンタ１人か？　俺も１人だ。なんなら一緒に帰るか？　話くらい聞いてやるから。」



バス待ちの長い列の最後尾に着くと同時に、男は問わず語りを始めた。







僕はシンジが来てレッズのサポーターになりました。

シンジのプレイは、敵味方問わずその時ピッチ上にいた誰よりも華麗でした。 一発で魅せられてしまった僕は、シンジのプレイを見るためその後何度となく駒場に通いました。 そして気がついたらいつの間にかレッズのサポーターになっていたのです。


最初のシーズンはまあまあ調子が良くて、観に行った試合はだいたい勝ち負け半々くらいだったし、 １６チーム中真ん中よりちょっと上くらいの順位にいたので結構気楽に見ていたんです。



だけど次の年、状況がまったく変わってしまいました。



エースの福田を始め、福永、西野、チキ、ペトロ、田畑といった主力がかわるがわる怪我で離脱のうえ、 ザッペッラが出場停止を繰り返し満足にスタメンすら組めない状態。 広瀬、池田伸康、土橋らベテラン勢、内舘、渡辺らの半サテライト組、 盛田、宮澤、池田ロボらの新人を総動員してなんとか試合をこなしていました。


そんな時、シンジがオリンピックの予選で大怪我をしてしまい、すべての歯車が狂ってしまったのです。


そして忘れもしないあの１１月２７日がやってきました。
結果はたぶんあなたもご存知の通りです。



僕は打ちひしがれました。 ウチに帰って床に着いても、悔しくて悔しくて全然眠れません。 布団の中で僕は

「今日の出来事がどうか夢でありますように。
目が覚めたらレッズが無敵になっていますように。」

と何度も何度も祈っていました。





ふと気がついたら朝でした。いつの間にか眠っていたようです。


起きてすぐＴＶを着けるとちょうどスポーツのニュースの時間で、プロ野球のキャンプの様子を伝えていました。 ぼんやりと画面を眺める僕の耳に聞いたことのないチーム名が聞こえてきました。

ソフトバンクホークス？　楽天イーグルス？　何だそれ？

それに、ダイエーが日本シリーズで勝って初の日本一を決めたばかりなのにもうキャンプインとは早過ぎないか？ 僕はきっと社会人野球かなんかのことだろうと考え納得することにしました。



しかし、その後に続くニュースにも何となく違和感を覚えます。

『小渕首相』のテロップが『小泉首相』になっていたり、あれほどもちきりだった２０００年問題のニュースがまったく流れません。




次に僕は近くのコンビニまでスポーツ新聞を買いに行きました。 昨日の出来事がどのように書かれているか、やっぱり気になったからです。

ところが、その記事は１面にも裏１面にも載っていませんでした。 怪訝に思いながら開いた３面に『浦和』の文字が見えました。
あった。そう思って読んでみると、『浦和、ガンバ、譲らずドロー』。 何でも、優勝候補同士がいきなり激突した開幕ゲームは熱戦のままドローに終わった、とのことです。

訳がわからなくなった僕は慌てて新聞の日付を確認しました。


『２００６年３月５日（日）』


ここに至って、僕はようやく気づきました。 僕はどうやら７年近い歳月を一晩で飛び越えてしまったようです。
昔よく『願い続けていると夢はやがて叶う』という話を聞いたことがありましたが、まさか自分の身に、 それもこんな短時間で起こるとは思ってもみませんでした。




そのあと、大学を出て就職したばかりの会社にも行ってみました。 正確に言うと『会社の場所に行った』と言うべきかもしれません。

コンピューターソフトの開発会社でしたが、事務所のあった場所は運送会社の駐車場になっており、 白地に赤いストライプのはいった大型トラックが何台も置かれていました。
何度か昼飯を買ったことがある近所のコンビニがまだあったのでそこに入り、 僕にとってのここ数日で少し老けたオーナーらしきおじさんに聞いたところ、 僕が勤めていた会社は資金繰りに行き詰まり４年ほど前に廃業したらしいとのことでした。

一瞬、目の前が真っ暗になりかけましたが、幸い、今、と言うか僕がいた頃は、２０００年問題で忙しい最中で、 結構経営に余裕があったみたいで、１１月中旬に臨時ボーナスが、それも現金で出ていたのでした。 冷静に考えてみれば、僕はあくまでその頃の『いい時期』の社員であって、今の社員ではないのです。 そのボーナスのおかげで、こっちへ来てからの生活費は当分なんとかなりそうでした。




ただ、金銭面ではひとつだけ困ることがありました。 何故だか自動販売機で物を買おうとお札を入れてもだいたい戻ってくるんです。 ずっとおかしいなと思っていたんですが、ふとお店でお釣りにもらった五千円札を見てみるとそこには見慣れぬ女の人の肖像が・・・。
慌てて千円札や一万円札も見てみると微妙にデザインが変わっていることに気付きました。




それから数日の間僕は、レッズがＪ２に落ちて以降どうなったのかを確認する作業にひたすら没頭しました。 そしてこの７年で起きただいたいのことを知ることができました。


・Ｊ２からは１年で、但しギリギリで復帰できたこと
・しかしその後も暫くの間は低迷していたこと
・岡野、シンジが一旦他チームへ移籍したあとまた戻ってきたこと
・ギド・ブッフバルトまでが監督として戻ってきたこと
・元ユース代表の市原の酒井らを獲得したこと
・初タイトル、ステージ優勝、天皇杯制覇を果たし強豪チームの仲間入りをしたこと



正直信じられない気持ちで一杯ではあったもののどうやらレッズが強豪になったらしいということがわかりました。 それをどうしても自分の目で確かめたくなりました。

調べてみると週末の土曜に磐田とのホームゲームがあるではありませんか。 磐田は、僕がこっちへ来る前にいたシーズンのですが、１ｓｔステージに優勝していました。 そんないわば雲の上の存在のような磐田との対戦は、今のレッズの実力を確かめるにはうってつけだと思いました。



そんなわけで、僕は今日のゲームのチケットを買ったのでした。






（後編へつづく）